雀蜂

 巨人の足音のような落雷で目が覚めた。
眠気眼をこすりながら時計を見やると、まだ深夜の3時だ。夜中に轟音で人を起こすとは迷惑極まりないが、自然現象を訴えるわけにも行かない。さっさと二度寝に洒落込もうとしたが、あいにく外は大嵐で、一度起きてしまったからにはとてもじゃないが眠れそうにない。俺を寝かせてくれないものが風の轟きでなく女だったら嬉しい悲鳴でも上げてやったのに。
すっかり目が冴えてしまった俺は、渋々上体を起こし、一度小便を決めてから部屋に戻り、間接照明をつけてベッドの傍らの書棚から昨日買った一冊の本を取り出した。題名は「雀蜂」。表紙はシンプルなもので、ソーダ水のような水色にポプリの絵が添えてあるだけ。その色合いとタイトルの響きがなんとなく気に入ったので、背表紙のあらすじも読まずに勢いで買ってしまったものだ。購入時に帯すらついていなかったので、少なくとも飛ぶように売れた作品ではないのだろう。さて、どんな奇天烈愉快な物語が展開されるのか、ひとつ覗いてやろうと俺は己の無骨な人差し指を紙の水平線に滑らせた。瞬間、再び雷が土を打ち、視界に真っ白な亀裂が走った。その轟音は、何か摩訶不思議な地獄絵巻の始まりを告げる一番太鼓のようでもあった。

雀蜂


在る所に、雀とも蜂とも似つかない、一匹のなりぞこないがいた。灰色の毛に覆われた両翼は雀そのものだが、尾っぽにはその体格に似つかわしくない毒々しい緋色の棘を飼っていた。瞳は濁り、嘴は湾曲し、足は飛蝗のようなものが三本。人間の価値観からすれば見るに堪えない醜い姿をしていたが、自然界ではむしろそのChaosに包まれた姿は神性のようなものを帯びて見えるらしく、他の動物たちは敬畏の念を込めて彼を「雀蜂」と呼んだ。
雀蜂はどの生物にも属する事ができなかったので、ひとりで生きるほかなかった。幸いにも食性は雑食性だったので、草木を食べていれば飢えずには済んだ。また、彼には家族もなければ、友もなかった。忌み嫌われていたわけではなく、むしろ生物として見做されていなかった。もっと高位の何かのように思われていたのだ。故に己を狙う外敵は少なく、いたとしてもその強靭な尾槍を見せつければ蜘蛛の巣のように散っていった。しかしそれは雀蜂にとって、「生命」を知ることができないも同然であった。彼には敵もいなければ子孫を残す番も居らず、苦悩もなければ、幸福もなかったのだ。
鯨の背のような重苦しい雲が世界を覆った六月のある日、雀蜂は小枝の上で雨に打たれながら思った。このまま死んでいくだけの命に、何か意味があるのだろうか。もしぼくが雀か蜂か、いずれかであれたなら命の意味を実感できただろうか。彼にとっては、上位者に捕食され死ぬことすらひとつの憧憬のようでもあった。破滅の可能性さえ閉ざされた命は、もはや命とは呼べない。目を伏せ、足元を見やると、ミモザの花が咲いていた。もちろん雀蜂に花の名前など分かるよしもなかったが、曇天に射す光のような黄金の花に彼はいつしか目を奪われていた。その花弁を見ると、雀蜂は不思議な安心感を抱いた。彼が生涯知ることのない、母親のような安心を見たのだ。
しばらくそうしていると、一筋の閃光が空気を裂き、一瞬遅れて砲撃のような轟音が響いて地面を揺らした。雷だ。雀蜂はそれ自体に興味は示さなかったが、地面が揺れたおかげでひらひらと揺れるミモザを見て、どこか震えているようだと感じた。そして、何を思ったのか、止まり木の上から声をかけてみた。

「そこの黄色いの、怯えることはない。あれはただの世界の虚仮威しだよ」

「どうも、不思議なお方。怯えているわけではありませんよ」

雀蜂はしばらく花を見つめながら惚けていたが、やがて今起きたことの異常さに気づき、まさかと思いながらも再びその植物に対して話しかけた。

「こんなことは豚が空を飛ぶくらいありえないだろうけど、今答えたのは君かな、もしかして」

「もし豚が空を飛んだら、神様がお花に話しかけるくらい素敵でしょうね」

間違いない、目の前のミモザの花が答えているのだ。さすがの雀蜂も度肝を抜かれ、あやうく木の枝から転倒しかけた。なんとか平衡感覚を取り戻し、改めて吸い込まれるように花の元へ飛び降りると、フローラルな香りが彼の鼻腔を抜けていった。ミモザと向き合った。

「ぼくは神様ではないよ。ただの生まれぞこないだ」

「そう?あなた以外のすべてが生まれぞこないで、あなただけが生まれぞこなっていないのかも知れませんよ」

「だとしても、ぼくは神様じゃない。みんなが神様と思ってもね。君こそいったい何者なんだ?鳴き声を発する花なんて聞いたことがないな」

「わたしも、足が三本の雀さんは初めて見ました」

なるほど、お互い変わり者というわけか。この際、このミモザがなぜ会話が出来るかなどどうでも良かった。おそらくお互いがこの瞬間、生まれて初めての話し相手を見つけたのだから。雀蜂はいろいろなことが話したくて仕方なかった。どんなくだらないことでもいい、誰かと話せるなら。初めに話を切り出したのはミモザだった。

「ねぇ、聞かせて。世界の虚仮威しって、どういう意味ですの?」

「そのままの意味だよ。雷は誰かを傷つけるために落としてるんじゃない。虚仮威しだ。いや、腹いせといった方が良いかな」

ミモザは答えず、代わりに興味に満ちた目線でこちらを見つめ続けるので、雀蜂は少し気恥ずかしい気持ちになりながらも続けた。

「世界は何もかもを内包し、すべてを握っているように思えるけど、実はこの世で最も不自由な存在なんだ。彼らは自分の意志で動く事ができない。彼らが廻っているのは微惑星の衝撃による回転の名残がまだ続いているからにすぎない。自分で回りだしたくて回り始めたわけじゃないんだ。世界そのものこそが、籠の中の鳥だ。彼は好きな時に爆発することはできないし、どこか宇宙の遠くへ行って見たこともない惑星とランデブーをすることもできない。だからその腹いせとして、自分の庭に雷を落として脅しているだけなのさ。『我を敬い給え命どもよ、すべての生殺与奪は我が手にあるのだ』ってね」

「でも、世界はもっと大きな力を振るうこともできますよ。大地震を起こせば、わたしたちの殆どは死にます」

「地震を起こしているのは世界じゃなくて地面だよ」

「では、雷を起こすのは世界ではなく雲ではないんですの?」

「世界は神様と同じだ。ぼくらを上から見下ろしている。彼の御業は『上から降ってくるもの』だけで、あとは動かせないのさ。海も山も、世界の内蔵みたいなものだ。雀が自分の意思で肝臓をひっくり返せるかい?」

そこまで言うと、再び雷鳴が遠くの山へ落ちた。暴風で木の葉ががさがさとざわめいている。

「ほらね。ぼくらがこんな話をしているから、怒らせちゃった」

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狐と僕

それはいつ頃の話だったか。はっきりとは覚えていないが、恐らく中学校3年生くらいの頃。
授業を終え、僕はいつもの帰り道を歩いていた。
すると突然、茂みから「黄色い何か」の姿が見えた。
しばらくがさがさと草木を揺らしたかと思うと、靭やかに僕の目の前に躍り出た。

狐だ。

僕の住む街は随分と田舎だったから、帰路は緑の大木で覆われていた。
ときたま、木々の隙間からリスが顔を出したり、ハトの頭を咥えた狸なんかと出くわすこともあった。
動物と出会うことは珍しくないし、動物が嫌いなわけでもないのでその時は適当に会釈をして通りすぎている。
しかし、狐と出くわすことはこれが初めてだ。僕は当時、狐のことなど露ほども知らなかったのでそれは焦った。
「未知の存在」ほど恐怖を覚えるものもない。こいつは人間を襲うのか、なぜ出てきたのか、とりあえず死んだふりをすべきかと思考を巡らせていた所、油揚げのような毛並みをしたそいつは、少しだけ耳をぴくぴくさせながらこう「言った」。

「ぬしは」

しゃべった。しゃべりおった。その狐の口から、確かに声が聴こえた。嗄れた婆のような声。
今考えると、好奇心とは恐ろしいと熟思うのだが、その瞬間、僕は恐怖を忘れて興奮した。
喋る狐とは、なんと面白いことだろう!しかし、狐の発する言葉の言わんとすることがよく分からず、僕は返事に窮した。
すると、狐は口をもごもごさせながらこう続けた。

「ぬしは、わしの姿が見えるのか」


藍 


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