若干ダンガンロンパのネタバレあり

雨。土砂降り。はぁ。

夢。久々に愉快なことになった。
場所。国会?裁判所?広い場所。公。僕は傍聴。偉い人が「ですから、先程から無限に申し上げている通り……」というふうにナチュラルにネットスラングを使っていてだいぶ面白かった。
証拠物件として少女のテスト用紙。なんの事件だったんだろう。僕はそのテスト用紙を覗き込む。4点だった気がする。少女に怒られる。その場を離れる。
次。まったく内容が変わるが、この2つの夢は1度の睡眠で見ている。
ニューダンガンロンパV3に分岐ルートがあることが判明。僕が友達と遊んでいると発見した。
3章の裁判Aパートでとある行動を取ると話がすごい方向に発展して一旦裁判が中断され(ここらへんの内容はよく覚えていない)、「転校生オブザデッド」が終了しタイトルが変わり分岐シナリオに入る。4章ではなく3章のパラレルみたいな扱いらしい。電子世界に入る。(4章の機械?)ただ話を進行させる条件が鬼厳しく、一定時間内(結構シビア)にある部屋にはいらない詰む。(改札のようなものがあり、一定時間で永久に閉まる)
ワープパネルのようなものがある。ポケモンのアジトみたいな。西へ行くと階段を見つける。ここから覚えていない。
とにかく3章分岐シナリオに入る時の演出が素晴らしくてドキドキした。発売から二ヶ月たち、もう新たな要素は出てこないと思われた所でいきなり見ず知らずのシナリオが始まったのでかなり高揚。裏ルートとかじゃなく1章分まるまる新しいのが入ってきたからね。


話ですが、雨で死ぬほど参り、風邪を引いたので何も言えない。春が来てしまう。地獄の幕開け。

イデオ

曇り後晴れ。

夢。覚えていない。


なんか最近日記とも呼べない吐露ばかりになってきたのでふつうに日記をしたい。
昨日の夜はだいぶ参っていたし、障害者手帳をとって年金だけで生きたいヘラ~とか言ってた。実際は通りにくいらしい。色々調べたら弁護士を横に置いて申請するのがよさそうだ。面接室にナイフを右手に持ちながら入室するのと同じ原理だろう。
朝起きたら割と平和でした。最近寝ても希死念慮が治らない事がよくあるので、これはよかった。
午前中はずっと社会的営みに徹していたが、割と苦がなかった。よい兆候だ。ただ苦を感じなくなる条件がわからない。どのイベントフラグが立てばこうなるのだろう。人生の攻略本が必要だ。
昼飯を雑に食べて歯医者に行く。「神経まで行ってるんで」と突然警告されたが、5分程度で終わった。てきとうにやっているなぁ。喋りも全体的に雑だった。悪いとは思わない。仕事はこういう風にやりたい。

Tumblr、何も投稿していないのにフォロワー(ファン)が増えていた。しかし名前もアイコンも表示されないのでどういうことだと思ったら、Tumblrは誰が誰をフォローしたかが解らないらしい。これは素晴らしいシステムだ。あらゆるSNSはこうなって欲しい。

またamazarashiの話。
先日買ったアルバムに小説のようなものがついているのに気付く。音楽をやる人が小説を書いて売るというのはどうなんだろうなぁと思わない事もないが、彼の場合もとから詩人のようなものなのでいいのか。
「貧乏な主人公がただの拝金主義になってハッピーエンドとかとても頭にくるんです。根暗でオタクな主人公が体育会系スクールカーストの頂点に立ってハッピーエンドとか、馬鹿馬鹿しいと思うんです。自分のコンプレックスを抱えたまま自己実現する、というのが本当の意味でのハッピーエンドだと思います。」という言葉に、久々に電撃で打たれたような感覚になる。たしかになぁ。全くもってその通り。何も言い足すことがない。これが僕の今まで言いたかったことのすべてです。しかし彼は代弁者ではない。

承認欲求をブチ殺す方法

承認欲求とか自己顕示欲というものは芸術に携わる人間にとって非常に密接に関わってくる問題だ。
むしろ、「芸術」というジャンルはこれらと如何に上手く付き合うかという存在と言っても良いかもしれない。
そう、付き合い方だ。どう扱うべきかは各位の目的によって変わってくる。
個人的には、承認欲求丸出しだろうが本人がよいならよいのかなぁとは思う。
その場合その人は強制的に商人となるが。商人と表現者については以前書いたのでそちらを読んで欲しい。
今回は承認欲求をブチ殺す方法だ。基本的には絵を描いたり音楽を作ったり、芸術に携わる人向けの話。特に「表現者」側の人間に向けて。
「殺す方法」であって「満たす方法」ではないので、満たす方法が知りたい人は帰って下さい。個人的には、絵なら人のオリジナルキャラ、音楽なら他人のオリジナル曲のアレンジなどを無限に作り続ければ生みの親から無限に絶賛され続けるので、その駄サイクルで満たすのが一番てっとり早いと思う。(なんか攻撃的になってしまったが、これは皮肉なしに全然アリだと思う。駄サイクルはある種承認欲求に対する完全なる解答だ。僕の専門外の人種ではあるが)
先に言っておくが、承認欲求を支配しようが殺せようがあるいは支配されようが、あなたの幸福度には全く影響しない。虚しさは残ったままだ。それはあなたの幸福平熱が周りの人より低いため、どれだけ幸福になろうと足掻いてもしばらくすればいつも通りの満たされなさが襲ってくる。あなたはいつもそうだった。どうしようもない。呪うなら遺伝子を呪うが良い。(ちなみに虚しさを抱えていないひとはこの記事の対象者ではないので帰ってください)


幾つかの注意事項。まずひとつ目、ついさっき言ったことと若干内容が被るが、「承認欲求を殺す」というのは決して健全なことではないという事。あなたはひょっとすると承認欲求を負の感情として捉え、こいつさえブチ殺せば心には清涼なる風が吹き抜け木々は笑い一切の苦から解放され自由に作品を作れるようになると思っているかも知れないが、絶対に不可能です。そうなりたいならむしろ芸術をブチ殺して髪型を整えコミュニケーション能力を鍛えラブに酔うしかない。酔えばハズレ遺伝子でも多少幸福になれるだろう。そもそも芸術そのものが幸福の対義語のようなものなので、心を清涼にしたいなら芸術そのものを殺したほうが早い。承認欲求殺しの目的は「自身を楽にするため」ではなく「作品と作者の乖離」にある。

二つ目。作品を作る者たちにとって「作品を公開する」というのはどうしても必要なステップであるということ。僕の定義ではこれは「承認欲求」に該当しない。承認欲求に該当しだすのは、それが良いものであれ悪いものであれ「反応が欲しい」と思うあたりがライン。つまり「褒められたい」は無論のこと、「批評でもいいからコメントが欲しい」とかも承認欲求だろう。作品の公開を承認欲求としてしまうと我々は一生作品をどこにも公開せずただ一人で消費し続けるだけになる。問題なのはそれに納得いくかいかないかではない。「俺は誰にも見せずとも楽しめる」という人もいるだろうし、どちらかというと僕もこっちよりなのだが、そんなことはどうでもよい。問題なのは作品を公開しないと己の死と共に作品を殺してしまう事。

人は死ぬとその死体が腐り出し、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲み、その死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされ、やがて土に還ってゆく。そしてその土の上を人が歩いたり家が建ったり花が咲いたりするわけだ。ところが作品が死ぬとそれすら許されない。ただ、無かったものとなる。これがよくない。そもそも芸術作品というのは作者が死んでも人々が語り継いでゆくから「死」を迎えずにいられるものなのだ。作者自身が殺そうとしない限りは。作品に命を与えるため、作品を公開するという段階はどうしても必要だ。皆も「この作品に出会えただけで生まれてきた価値があった」と思えるほどの作品がひとつくらいあるだろう。もし作者がそれを封じ込めていたらと思うと苦しいだろう。そういうことだ。うんち!



さて殺し方です。
承認欲求を殺したいということはコイツに苦しんでいるということだろう。
認められたい、愛されたいと思う人は現代社会では本当に若干引くくらいありふれている。ストレス社会の皺寄せだろう。
とにかく皆いつも否定されてばかりで承認に飢えている。その実否定されないために先に相手を否定しようと攻撃的になる人も多く、ありもしない敵意への牽制が蔓延り良い具合に地獄となっている。話が若干反れましたね。殺し方の話です。

「作品を公開する」という前提で承認欲求を殺す方法。
承認欲求に苦しむ時とはどんな時だろう。例えば、あなたはある日渾身の作品ができたと思った。喜び勇んでそれを公開する。しかし、それにはあなたが予想していたほどの評価は付かなかった。あなたは酷く落ち込む。作品を公開するのが怖くなる。ふと周りを見ると賞賛されているアーティストたちを見つける。あなたはそれを羨む。自分ももっと技術力が欲しいと思うようになる。次の日から己の芸術ジャンルの勉強を始めるが、3日と持たず気力は尽きる。けっきょく才能がすべてと愚痴り、どこか芸術に対して攻撃的になる。旬のジャンルに飛びつく奴らを蔑んだり、他人の褌で金を稼ぐ輩を憎む。やがてあなたは自分がなぜ作品を作っているのかわからなくなる。こんな自分の作品などあってもなくても同じだと思うようになる。そして作品の評価と自分への愛を混合しだす。やがて愛と価値を混合しだす。あなたは耐え難き空白に押し潰される。以上です。

僕にとって「承認欲求を殺す」というのは、「周りの評価に一切影響されなくなる」事だ。周りがどんな評価をしてこようがただ淡々と自分の作りたいものを作り続ける事。たとえばあるアニメの絵を描いたら凄まじく評価されたのでそればかり描くようになるとか、あるオリジナル曲が割と伸びたのでそれに似せた曲ばかり作ってしまうとか、渾身の作品が思ったより伸びずモチベーションが失せてしまうとか(流用)。こういうものを無くす方法。きわめて簡単です。評価を受け付けなければよい。
たとえばpixivなら、絵を上げるじゃないですか。点数やらブクマがつくわけですが、それを一切見ない。これだけです。僕は2年前くらいから実践している。マイページみたいな所を開かなければ作品の評価は見られないので、開かなければよい話なのだ。SoundCloudでも同じで、自分のページを開かなければよい。評価は流れてこない。メール通知は専用のメールアドレスを作れば見ずに済む。Twitterは少々難しい。通知を一切切ってもベルのマークでポップアップが来る。正直どの芸術ジャンルでもTwitterに作品を上げる必要性はないと思うので、上げないのが一番だと思います。
最初のうちはどんな評価がついているか気になるかもしれないが、本当に一切の無視を決め込んでいればいずれどうでもよくなってくる。これは芸術に限らないが、人間の脳は「目に見えないものは存在していないものと同じ」という解釈をする。だから近くの人のちょっとした不幸には共感しても、アフリカで餓死する子どもたちには心からは同情できない。見えなくしてしまえば存在していないのと同じ。「評価されない」ではなく「評価が来ない」状態、0ではなくnullなのであなたは一切落ち込まずに済む。あなたは周りに流されず好きなように作品を作り続けられる。ただし、代償としてあなたの芸術の実力は一切不定となる。商人なら致命的だが、表現者にとってはどうでも良い要素なので構わないと思うが。あ、芸術で食っていく予定のひとは承認欲求を殺してはだめです。これだけがあなたの推進力となる。表現者とは、技術力やセンスがずば抜けているのに本性が社会不適合を起こすため商人に回れなかった人々のことを指す。ココらへんは前に話したのでその記事を見て欲しい。技術力やセンスがずば抜けていないが社会不適合者の人たちは、まず商人にはなれないので今から技術力とセンスをブチ上げて表現者としてやっていくしかない。


ちなみに、この「見ないふり療法」を長く続けていくと何が起こるかは僕にもわからない。僕は現在「元来自己顕示欲の強い人間がそれを封じ込めようとしたらどうなるのか?」という実験をしている最中なので、僕がこの先どうなるかで判断して欲しい。個人的には…死ぬと思います。

恒久的な欠落

晴れ。

夢。見てない。


久々に買い物で失敗した。とんだ詐欺を食らってしまった。あーあ。

それとは全く関係ないが、amazarashiのメッセージボトルを買う。
全曲レビューで「音楽をやって認められたら幸せになれると思っていたが、実際は何をやっても褒められても満たされず虚しい」という一節があったのがよかった。本当にそのとおりだ。夢を叶えても人は幸せにはなれない。「こうすれば幸せになれる」では絶対にその時は来ない。「ああ、これでは幸せになれなかった。でも今後は◯◯さえできれば幸せになれる」を一生繰り返し続けるだけ。
ふと思ったが、もしかすると「◯◯さえできれば幸せになれる」という勘違いがなければ人は前に進めないのかも知れない。これが嘘と分かると努力する気が起きなくなりますからね。そういう意味で僕はもうだめかもしれん。知ってしまった。

一度栄えし者でも必ずや衰えゆく

晴れのち雨。

夢。見ていない気がする。


白坂小梅の誕生日という事に気づき、絵を描くか社会的営みをやるかで迷った結果、どちらが死に向かう上で本質的な輝きかを考慮し絵を描いた。それにより社会的営みの方が進まなかったが、正解ルートだった気がする。僕らは社会参加のために生まれてきたわけじゃないはず。

某氏の備忘録を読み考える。差別。蔓延る。貧困差別、学歴差別、職業差別。人種差別や障がい者差別などは地下インターネットではともかく社会の上澄みでは基本的にお互い自粛しあう感じがあるが、まだまだ差別は残っている。例えば学歴差別を例に取ると、間違っているのは確かに学歴差別をする社会側なのだが、これを無くすには大勢の努力と途方もない時間が必要となる。最高率で変えようと動いても、数日で世界が変わったりはしない。社会の根底の変革には少なくとも何十年という年月を必要とするため、自らの就活の時期までにその革命が間に合わない人たちは差別が「間違っているとわかった上で」生存のためにその差別に乗っかるしかないのだ。適応するために。いじめは悪だが、いじめっ子を救おうと思うとほぼメリットなしのリスキーな行動を取らなければならず誰も動けないのと同じように、差別が悪だと解っていてもそれに抗う事ができるのはまさしく自分の人生をドブに捨ててでも次の世代をよくしようとする自己犠牲精神、究極のボランティアができる人間だけなのだ。こうして大衆は差別に乗っかっていってしまうため、その治りはどんどん遅くなる。そして傷の言い訳として「障害や人種など生まれつきどうしようもない物はともかく、学歴や職業や貧困は努力でどうにかなるはずだ。だから差別ではない、区別だ」という道徳が生まれる。ちなみにこんなものがまかり通るならLGBTなども「区別」という名目で排斥されなければならない。もうめちゃくちゃや。気が狂う。

太夫


koume.png

誕生日らしい。いつからか二次元キャラクターに本当に一切の興味をなくしたが、白坂小梅だけはほんまに可愛いと思う。
容姿だけならあらゆる二次元キャラクターで一番可愛いのでは。
しかしまるで良い絵が描けない。だめですね、こんなもんじゃ。

31780

天気。知らない。

夢。覚えていない。


だめだなぁ。すごくだめだ。ダメ記録が更新され続けている。未だかつてこんなだめだった期間があっただろうか。
ただ昔のテレビ番組の録画を再上映して笑いを引き出すだけの日々。無為すぎる。辛すぎて氷柱になった。
一応、すべきことをする。酩酊すら許されない頭を引きずってする。
「やるべきこと」を朝ちゃんと具体的に決めておくと一日が終わるまでにはこなせるらしい。今後こうしよう。

ひとの話。
鍵コメントで何やらついていた。誰だ。見られているとわかると厳しい。いつもそうだ。僕の周りには僕から見えない黒い目が蠢いている。僕がひとたび立ち上がろうとすると一斉にこちらを睨む。その空白に耐えきれずばつが悪そうに座り込む。それを自己責任として封じ込められる。定時帰り、圧力。不文律。空気。差別と区別。ああ、違うそうじゃない、わかっている。僕はいつから人の好意を素直に受け取れなくなったのか。

芸術の話。
ドット絵はあまり描けていない。ふつうの絵は、今は漫画をひたすら模写している。あとは彼の絵。
人と関わるのに疲れたため、人を描くのにも疲れたので基本的に背景を練習する。
電球の光を描く時は平筆マーカーを使うとよいという発見。
暇だったので知る人ぞ知る神ゲー「つくってうたう さるバンド」で7年前くらいに作った曲を打ち込みで再現していた。
録音した音質が悪すぎてコードの判別が不可能なのでリハーモナイズするわけだが、なんだか原曲より微妙になった。DSiウェアの似非人工知能のセンスにすら負けている気がして鬱ぎ込む。絵も音楽もだめだ。だめというのは技術力がないとかセンスがないとかそういう話じゃあなくて、これは僕らの救いにはならないという話。こいつらのアルコール成分は甘酒にも劣る。努力次第で賽銭箱にはなっても宗教にはなり得ない。ハァ~~~~自殺!自殺だよ、そう。この話はしただろうか、自殺というのは生まれた瞬間にやらなければ意味がないのです。駆け下り降車の話。大人になってからわざわざ首を括るというのは、徒歩で駅まで行こうとしたが思ったより疲れるのでわざわざ一度家に戻って車で再度駅まで向かうようなばかげた行為であり、要するに二度手間なのだ。その後ろ姿は惨めったらない。ただし21世紀ではまだ人の死にパワーがあるので、世の中もしくは極めて狭い内輪に何か恨み言を伝えるために死ぬのならありかもね。それとも自らを芸術として完成させるか?27クラブ。

ちなみにさるバンドの話ですが、曲の雰囲気を指定すると音楽を自動生成してくれて、それに歌詞がつけられるゲームなんですが、僕が作った曲の一節に「戻らないあの時間 無邪気に笑えたあの頃 何かに追われ逃げ惑う今の人生」という歌詞があり、7年前から僕はこんな調子だったのだなぁと苦笑してしまった。一生逃げ惑っているよ。

aaaa

雨。


picotuneというサイトでひたすら耳コピをロードするのが楽しかった。

53928

3月26日 昼以降 2枚目の絵「無題」が削除される(総数369→368枚)

自殺

夢。
1つ目
「俺を殺したいか」
「そう言えば笑うか?くくく、正直に言えばそうなってしまう」
「よし、笑ってやろう」

2つ目
新しい学校
前の学校で好きだった子が2つ前の席になる
と思ったらすぐ隣の席になった
「赤松」という苗字
女装子がいる?
一時限目、集会だが集合場所がでたらめ みんなで本当の場所を探す
奨学金?誰かの善意が空回り
ある人を助けるため視界を失う(失明ではなく景色が下手な3Dモデリングみたいになる)
彼は絵描きできれいな景色を描くのが好きな少年だった から笑い



以上、メモほぼそのまま写し。

藍 


contact:


日付
02 | 2017/03 | 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
分類
記録
検索